大垣俊一さんを偲ぶ

posted by AAsakura

瀬戸臨海実験所で大学院生時代を過ごし、その後いくつかの職を経験して、またこちらに戻ってきて、長きにわたって主として岩礁潮間帯のベントスの研究を続けておられた大垣俊一さんがお亡くなりになって、 この5月で1年になろうしている。大垣さんはある場所にわたる長期の生物相の変動について、その生態学的重要性を認識され、実に根気強く、チームで調査を続けられておられたが、そのこころざし半ばにして無念にも病に倒れられた。
しかし先日の瀬戸臨海実験所の教職員の会議で、わが実験所として大垣さんのご遺志を継ぎ、その長期的研究をこの実験所の若手職員を中心として、続けることになった。30年来の知り合いである私としては、これは大きな喜びであるであるとともに、この調査を続けることに手を挙げてくれたこの実験所の若手の人たちに深く感謝したい。

ありし日の大垣さん(左)。岩礁潮間帯のマクロベントスの調査をチームで行っているところ

私が大垣さんと初めてお会いしたのは、大垣さんが瀬戸臨海実験所の博士課程の院生として研究をしておられた時であった。当時は私は九州大学の天草臨海実験所の修士課程の院生であった。その時、瀬戸実験所で海洋ベントスの談話会が開かれ、それで瀬戸を訪れたのであった。当時は天草も瀬戸も院生がたくさんいて、非常に賑やかに研究をしたり議論をしたりしていた。もともと両実験所は研究内容としては良く似ている、いわば兄弟のような実験所である。しかしそれも考えてみればそのはず、京都大学の森下正明先生が一時、九州大学に来られて教鞭をとっておられたころのお弟子さんが、のちに天草臨海実験所の所長になられた菊池泰二先生であったわけで、言ってみれば、九大は京大の流れを組んでいるという背景があったのである。
私は当時の瀬戸実験所の院生の口が立つことに驚いたものであり、時にその口は毒舌、辛辣に感じたものである。そういう中にあって、大垣さんはもの静かなジェントルマンであり、学問に対する真摯な姿勢が印象的であった。しかしまた同時にその信念は強いものを感じた。
大垣さんが私のことをどう思われていたかは今となってはわからないが、私から見ると、学問に対する姿勢、話のテンポや内容は、かなり波長が合っていたように思う。
当時は大垣さんは瀬戸実験所近くの磯でタマキビ類の生態を研究されていて、潮汐のリズムとタマキビ類の行動の関係を調べておられ、そのフィールドにも案内していただいたが、実に几帳面にデータをとっておられるのにひたすら感心した。その後、大垣さんは小笠原諸島の父島や沖縄にも行かれ、タマキビ類の分布調査などをされていた。そして結局、そこから出発して生涯を磯の貝類を中心としたマクロベントスの生態の研究に捧げることになるわけであるが、いかにも大垣さんらしい一途な生き方である。

大垣さんはもちろん研究者志望であったが、どういう理由かは聞かなかったが、ある時からは研究職の公募などには出しておられなかったようで、塾などで生計をたてながら独自の道を進まれていた。
大垣さんとは。学会などで時々顔を合わせたり、ときには電話で、ときには年賀状のやりとり
の中で、情報を交換していたが、次第に学会で顔をお見かけすることが少なくなっていったように思う。

しかしなんという偶然か、昨年の1 月から私が大垣さんの地元である瀬戸実験所に勤務することになり、その時にご挨拶のe-mail を大垣さんに差し上げた。すると大垣さんからすぐに「春になって気候が良くなったら瀬戸実験所にお伺いします」というご返事をいただいた。私は旧交を温めることを楽しみにしていたのだが、その時まさか大垣さんが重篤な病気に罹られているとは夢にも思っていなかった。したがって、その訃報はまさに寝耳に水のことであった。
大垣さんは几帳面な方であったので、健康面も十分気をつかっておられたと思うのであるが、病というのは、なぜかそういう人にとりついてしまい、わからないものである。

大垣さんの生涯というのは、まさに学究の徒というのにふさわしく、岩礁潮間帯の生物の研究に捧げられた。特に非常に長期間にわたるモニタリングを通しての、各種マクロベントスの変動を追い続けた研究の功績は高く評価されるであろうし、世界的にみても、同じ場所でこれだけ長く継続観察された例はまれである。

大垣さん、

大垣さんの岩礁潮間帯の長期研究に関するご遺志は、わが瀬戸臨海実験所として正式に継ぐこととなりました。これまでたくさんのことを教えていただき、本当に有難うございました。どうぞ、安らかにお眠りください。

合掌。

追記:大垣俊一さんの追悼文集は関西海洋生物談話会アルゴノータArgonauta 21(2012)http://www.mus-nh.city.osaka.jp/iso/argo/に掲載されていますので、ぜひお読みください。また上記の文の一部も、私自身の追悼文を引用している部分があります。

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