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瀬戸臨海実験所の卒業生で長年にわたり瀬戸臨海実験所周辺のべントスの調査を続けられてきた大垣俊一さんがお亡くなりになって、5月8日で2年(三回忌)となる。命日を迎えるにあたり、法要の意をこめ故人を偲んで一筆書きたい。
大垣さんと言えば畠島の調査を忘れることはできない。田辺湾にある無人島である畠島は1968年に国による買取りがなされました。それ以来、瀬戸臨海実験所が管理する国有地として、海岸生物の研究・教育に活用されてきている。1968年より始められた畠島の「海岸生物群集一世紀間調査」は、所員および他教育機関の調査員によって、現在も継続されている。5年ごとの春季に行われる全島調査では、畠島の43区域において、指定された大型底生動物86種の分布密度を記録し、動物相の時間的な変化を観察している。近年4回の調査記録は、大垣俊一さんによってまとめられて、その様子は関西海洋生物談話会連絡誌 “Argonauta” より閲覧できる。
また瀬戸臨海実験所のホームページに、一世紀間調査の概要が出ている。
http://www.seto.kyoto-u.ac.jp/setubi/hatakejima.html
大垣さんが亡くなられたあと、そのご意志を瀬戸臨海実験所が継ぐ形で昨年、その5年調査が4月26-28日に行われた。その様子は下記に見ることができる。
http://setoblo.blogspot.jp/2013_04_01_archive.html
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昨年の畠島調査より(上記せとブロのページより引用) |
この調査には瀬戸臨海実験所のメンバーに加え、京都、大阪、奈良、高知など様々なところから、人々が集まってくださった。これらの方々は、それぞれ大垣さんと何らかの形で関係をしていたこともあるし、面識は無かったがその調査の意義を感じて駆けつけてくれた方々もおられる。
いわばボランティアとして、これだけ多くの方々が遠路はるばる集まってくださったわけで、何と有難いことであろうか。昔の言葉でいえば、これらの方々は「義勇軍」である。改めて厚く御礼を申し上げたい。そしてまた大垣さんが驚くべき強靭な意志のもと、潮間帯生物の長期調査を続けてこられたことの影響の大きさに、感嘆するばかりである。
この義勇軍の方々の心意気に、わが瀬戸臨海実験所が応えるべきは、何と言ってもこの畠島の自然を未来永劫守り、そして調査を続けていくことであろう。
大垣さんや私の世代が、研究者を目指して研究をスタートしてから、早30年以上が経過してしまった。その間には言葉に尽くせぬさまざまなことがあったが、大垣さんはひたすら原点回帰的にこの一連の調査を続けてこられた。これは大変なことである。今、墓の中から大垣さんは何を思うのであろうか?