大垣俊一さんの命日に思う

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 今年も5月8日、元瀬戸臨海実験所の院生であられた大垣俊一さんの命日がきた。自分は修士課程の大学院生があった時に、初めて瀬戸臨海実験所を訪れた。その時に、博士課程の院生であった大垣さんと、初めてお会いした。当時、大垣さんはアラレタマキビの長潮汐による活動パターンを調べておられて、そのフィールドを案内していただいた。大垣さんは岩礁のアラレタマキビの生息地である潮間帯上部に、いくつもの筒のようなものを岩につけられていた。中に水溶性のサインペンで書いた文字が書いてあって、そこまで潮が満ちると中のサインペンの文字が消えて、あとでチェックした時に、そこまで潮が満ちたことがわかる仕組みである。こうした工夫をしながら、大垣さんは丹念に調査をされていた。
 当時は大垣さんは、タマキビの研究を白浜でずっとされていただが、その後このタマキビガイに対するこだわりは、小笠原諸島の父島や北海道のタマキビガイの分布などにも現れている。
 その後、大垣さんは潮間帯性のさまざま貝類の生態の研究をされていた。またそうした研究の発展として、岩礁潮間帯のマクロベントスの長期変動の研究もされていた。大垣さんはまさに学究の徒であり、そのひたむきさ、ストイックさは、とても私などかなうものではなかった。
 大垣さんの研究業績リストは下記のリンクにあります。
 私が瀬戸臨海実験所に着任してから、すぐに大垣さんにe-mailを送った。2012年の1月、真冬のことである。大垣さんからは「暖かくなったら瀬戸実験所にお伺いします。お会いしましょう」と、すぐご返事をいただいた。しかしその4ヶ月あまりあとに、まさか訃報を聞くことになろうとは。
 関係者にあとから聞いた話では、このころすでに大垣さんのご病気は相当に進行しており、体調は悪化の一途を辿っていたということである。しかし、そうしたことは、私にはみじんも感じさせないe-mailの内容であった。
 本年、この白浜で、瀬戸臨海実験所の中野智之さんが中心となって日本貝類学会の大会が開催され、多くの貝類学者がこの白浜を訪れた。その中には、大垣さんと同時期に瀬戸臨海実験所で院生として過ごした方々のお顔もあった。
 もしも大垣さんが生きておられたら、この白浜で貝類学会の大会が開催されたことを、誰よりも喜んでくださったのではないかと思う。そう思うと、心に無念さが走る。今、お墓の中で大垣さんは、何を思うか。
 合掌。
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