初めての磯釣りー前篇ー

その日私は夜遅くまで分子実験をしていました。集中するあまり、終わったころに時計を見ると、午前2時をまわっていました。早く寝なければ…、 そう思いました。あまり夜更かしして明日に響いてはいけない。私は足早に家に帰り、床に就きました。異変を覚えたのはそれから30分ほど経ってからでしょうか?夜の闇に自分の意識が溶けていく感覚がこの日は来なかったのです。まどろむことさえできずに、時計が秒針を刻む音と、冷蔵庫が時折立てる唸るような声の中、寝返りをうって時が経つのをただただ待っていました。なぜ、その夜は眠れなかったのでしょうか?答えは解りきっています。
明日は………明日は……………初めての磯釣りなのです。
この胸の高鳴り。眠ることなんてできましょうか?

明日、私と共にに戦ってくれるのは、このSHIMANOのガンバロッドです。
 明日のメンバーですが、私と、技術職員の方2名、計3名で磯に赴きます。

結局、私はほとんど眠ることができないまま、
朝を迎えました。時刻は午前4:30。
曇天の空から冷たい雨がパラパラと降っています。しかし、私のモチベーションはそんなことでは下がりません。車で港に向かい渡船に乗り込みました。

少し高い波に船が揺れ、まるで船が踊っているよう。
普段は酔い潰れる私ですが、この日の私の心は、船と共に踊っていました。

私は磯に立ちました。今までは画面の向こうでした見たことのなかった聖域が、現実の感触と匂いと圧力を伴って私の前に降りてきました。私は聖剣(ガンバロッド)を鞘から抜き、獲物が掛かるのを今か今かと待っていました。
ここは磯なのです。きっと気持のよいくらいに……..そう、あのBのウキが、まるで海底に向かって放たれた銃弾のように沈んでいくに違いありません。きっと、すぐに。

…………………………………

いえ、まだ3時間も経っていません。焦る必要はないのです。ここは磯なのですから。

……………………………..

いえ、まだそんなに経っていないはずです。焦る必要はないのです。ここはそう。
磯なのですから。

……………………………..

焦燥という言葉はこういう時に使うのでしょうか。波はますます荒れ始め、風は止むことを知りません。朝はまだ穏やかだった雨も、今は容赦なく私の体を貫きます。次第に荒れてくる天候とは裏腹に、私のウキはまるで聖人の心のように、波紋一つたてず海面を漂います。季節が移れば、雪は溶け、花は散ります。かつてあれほどにまで咲き誇っていた春先の満開の桜も、家屋より高く降り積もった雪も、私の踊っていた心も。
ふと沖に目をやると、何やら波に揺られて接近するものがあります。あれは何でしょうか?いや、逃げてはいけません。あれは船です。もうそんなに時間が経っていたのですね。目の前が真っ暗になりました。ここは磯なのです。せっかく磯に来たのです。
天を仰ぎました。降り注ぐ雨に、私の涙を、弱い心を流してもらおうと。

その時、唐突に私の脳内に声が聞こえました。

その声は

嵐の夜の灯台から放たれる、光でした。
箱の中に最後に残った、希望でした。
私のスケジュール帳の、いりあちゃんのサインでした。

その声は、船から発せられたのです。

≪次回  最後に残った磯(みちしるべ)≫

posted by 望月

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