「遠藤吉三郎の写真乾板の再発見」の展示について

水族館の展示スペースで、「遠藤吉三郎の写真乾板の再発見」という展示を、8月4日から開始した。すぐ隣には、「時岡隆生誕100周年」の展示をやっているから、その片隅を利用させてもらってのささやかな展示ということになる。

この発見の経緯については、既に「遠藤吉三郎が撮影した欧州海藻標本写真のガラス乾板」というタイトルで、「藻類」という雑誌にまとめた。普段の私ならば、もっと多くのことがわかってからということで、なかなか文章を書かないところであるが、今回の場合には、国立科学博物館の北山太樹さんの主導で、現時点でわかっている事柄を、すっきりとまとめていただいた。

水族館で展示をすることについても、北山さんのお薦めや各種のアドバイスがあり、また、水族館技術職員の加藤哲哉さんの全面的な協力と、適度に尻をたたいてもらったおかげで、遠藤吉三郎生誕140周年の誕生日にあたる8月30日をはさむ形で、8月の初めから、なんとかスタートすることができた。

ここでは、公式的で形式的な文章では、字数の制限などもあって、書くことが出来なかったことのうち、特に発見の経緯について、書き残しておきたい。

まずなによりも、遠藤吉三郎の写真乾板が見つかったことのきっかけとして、2014年の5月14日に東京都在住の石田晃浩さんからの問い合わせがあったことを、挙げておきたい。この問い合わせがなければ、今回の写真乾板の再発見はなかったものと思える。

石田さんは「海藻寫眞帖」というものを所有されていて、それについての説明は、以下のサイトで、北海道大学名誉教授の吉田忠生さんが書かれているので、ぜひお読み下さい。---(遠藤理学博士撮影「海藻写真帖」)[現在、このページへのリンクは切れているようです]

その「寫眞帖」の中に、「本写真ハ遠藤理学博士ガ欧州留学中主トシテ Trinity College 及び Agardh 所蔵ノ海藻標本ヲ撮影セラレタルモノニシテ原版ハ京都帝国大学鉛山臨海研究所所蔵ノモノナリ」との記述がある。このことを踏まえて、今も残っているのかどうかの問い合わせがあった。

問い合わせを受けて、まずは心当たりの場所として、図書室にある過去の写真などが納められているロッカーなどを探したが、見つからなかった。最後に思い浮かんだのが、昨年の標本室整理のときに、見つかった木箱だった。結果として、この木箱に納められていたものが該当のものだった。

この木箱は、水族館3階の標本室の中でも、吹き抜けの小部屋にあったもので、ホコリをかぶった状態で、決して良い条件で保管されていたものではなかった。

昨年からの標本室の整理は、水族館の耐震工事にともなう部屋の改装のためのもので、標本室のすべての物品を移動する必要に迫られていた。そのために、その時点で学術的価値がないとみなした標本類は廃棄したりした。今回の木箱も、非常に重たいもので、廃棄するかどうかの決断を迫られたものだった。中身を開けてみたところ、古い写真乾板らしいということで、特に価値もわからないまま、残したものであった。

何枚かの写真乾板を取り出して、海藻が写っていることまでを確認したとき、歴代の実験所員には、海藻関係者はいなかったはずなのに、なぜこのような古い海藻の写真があるのかと思ったことを覚えている。今回の、遠藤吉三郎の「寫眞帖」に関する問い合わせがなければ、理解のきっかけがつかめないものだったに違いない。

瀬戸臨海実験所は、大学のメインキャンパスに比べれば、スペースに余裕があることもあって、歴代の教員の標本や研究資料が捨てられないで、引き継がれて来ている。これらの標本類は、実験所の建物が改築されるたびに、引っ越しを経てきたものと思われる。今の水族館3階の標本室へ集められたのは、1980年代の初めに、戦前の建物から、新しい鉄筋コンクリートの建物に改築されたときに、古い研究室や、旧博物館(行幸記念博物館を引き継いだもの)、水族館などの各所にあったものが、集約されたと聞いている。

今回の写真乾板の箱も、標本室の中では、あまり条件の良くない場所に保管されていたことからして、他の建物から今の場所に移動されて来たものと思われる。以前は、どこの場所に、どのような趣旨で保管されていたのかは、今となってはわからない。この標本室の整理を主導されたのは、元所長の故原田英司さんであり、整理途中の標本類も一緒に置かれていたことからすると、整理をされかかって、途中で中断されたのかも知れない。これも今となっては、原田さんに尋ねることも出来ない。

いずれにしても、100年も前の資料が、実験所の建物は変わっても、引き継がれて来て、今回、日の目を見たことになる。

今後、写真乾板の内容の調査については、海藻の専門家の意見を伺いながら進めて行きたいと考えている。また、なぜこの写真乾板が瀬戸臨海実験所に保管されているのかについても、興味は尽きない。実験所創設時の教員である赤塚孝三講師と井狩二郎助手は、遠藤の弟子であったことを、今回初めて知った。

展示してある遠藤の著書は、実験所図書室にある「井狩二郎記念文庫」から借用した。左下にある2枚の写真乾板は、遠藤が大学卒業前にバンクーバー島で催された講習会に参加したときに採集した標本であり、遠藤の1902年の論文(左上)に使用されている。

【追記:2018年2月19日】この写真乾板は、2016年度京都大学研究資源アーカイブ事業によってデジタル化され、以下のサイトで公開されています。 このブログから入られた方は、そちらもご参照ください。
京都大学デジタルアーカイブシステム(KUDAS) :遠藤吉三郎海藻標本ガラス乾板写真

また、なにか関連する情報をご存知の方がおられましたら、ぜひお知らせ下さい。

(大和 茂之)
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